【李思訓碑の魅力】なぜ李北海の書は書道家を狂わせるのか?
書道を続けていると、ふと「いつも書いている楷書に飽きてきたな…」なんて思う瞬間、ありませんか?
教科書通り整った字ももちろん美しい。けれど、どこか優等生すぎて物足りない。 そんなあなたにぜひ出逢ってほしいのが、唐代の名作「李思訓碑(りしくんひ)」です。
書道好きなら一度は耳にすることになるこの碑。一見すると「え、ちょっと傾いてない?」と首をかしげたくなるような不思議な立ち姿をしています。しかし、その危ういバランスこそが、千年以上の時を超えて人々を虜にし続けている最大の仕掛けなのです。
今回は、李思訓碑の歴史的背景から、見る者を惹きつける「欹側(きそく)」の美学、臨書のコツまで、じっくり深掘りしていきます。
そもそも「李思訓碑」ってどんな書?
「李思訓碑」の正式名称は『雲麾将軍李思訓碑(うんきしょうぐんりしくんひ)』。 ……うん、長いですよね。長ったらしくて覚えにくいので、書道界ではみんな親しみを込めて「李思訓碑」と呼びます。
この作品を成立させているのは、ふたりの異彩を放つ人物です。
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被伝者(碑に刻まれた人):李思訓(りしくん) 唐の皇族であり、伝説的な絵画のマスター。「山水画の祖」とも称され、将軍職にもついた文武両道の超・エリートです。
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揮毫者(書いた人):李邕(りよう) またの名を李北海(りほっかい)。唐代屈指の大書家であり、官職名から「李北海」として後世にその名を届けています。
つまり、凄腕の表現者であった李思訓の功績を称えるために、超一流の書家・李北海が筆を執ったという、贅沢で濃厚なコラボレーション作品です。
残念ながら原石は時代の下落とともにボロボロに傷んでしまい、現代の私たちが目にできるのは拓本(紙に墨で写し取ったもの)が中心です。けれども、紙の上から飛び出してきそうなあの線えぐりの力強さ、漲るエネルギーは、まったく色褪せていません。
【豆知識】
李北海は「行書で碑文を書いた」ことでも有名です。当時の碑文はカチッとした楷書で書くのが常識。そこに颯爽と行書の動きを持ち込んだ彼のブレなさは、現代の感覚で見ても最高にロックです。
見る者をハッとさせる「欹側(きそく)」の美学
李思訓碑を語る上で、絶対に外せないキーワードがあります。 それが「欹側(きそく)」です。
「欹」という漢字は「傾く」という意味を持ちます。そう、この碑の文字、実はびみょうに斜めに傾いているんです。
一般的な楷書 = どっしり構えた安定感(正方形のイメージ)
李思訓碑の字 = あえて重心を崩した緊張感(やや右上がりの斜めイメージ)
普通、文字のバランスを崩すと下手に見えますよね。素人が真似すれば、ただの倒れそうな字になってしまう。 しかし李北海の手にかかると不思議なことが起こります。
左右非対称で、いまにもパタンと倒れそうなのに、全体で見ると完璧な均衡を保っている。 例えるなら、「一本橋の上で片足立ちしながら絶妙に静止している曲芸師」のようなハラハラ感と美しさ。この「崩しと均衡のせめぎ合い」こそが、見る人の視線を引きつけて離さない理由なのです。
また、線質も独特です。 ただ鋭いだけでなく、どこか絞り上げた藤蔓のような、しなやかで骨太な粘りがある。楷書の骨組みを持ちながら、行書のスピード感で駆け抜ける。カチッとしすぎず、かといってダレない。この塩梅が実に見事というほかありません。
あの大書家・米芾(べいふつ)もドハマりした?後世へのインパクト
実はこの李思訓碑、後世の書家たちに多大な影響を与えました。
その代表格が、宋代のビッグネーム・米芾(べいふつ)です。
米芾といえば、書道史に輝く天才でありながら、かなりのこだわり屋(そして偏屈なこだわり者)としても知られる人物。そんな米芾が若き日に狂ったように学び、自らの骨格に取り入れたのが、まさに李北海の書でした。
米芾の書に見られる「グッと右に切り上がる鋭い傾き」や「躍動する刃物のような線」。あの強烈な個性の根底には、李思訓碑をはじめとする李北海の遺伝子が脈々と流れています。
臨書したことがある人ならわかるはずです。 「ちょっと真似してみようかな」と軽い気持ちで筆を執ると、痛い目を見ます。傾きの角度が1ミリずれただけで、途端にただの不細工な字に成り下がる。それくらい手強い。 だからこそ、何百年経っても書道人たちは「次こそは捉えてやる」と、この碑の前に平伏し、魅了され続けているのです。
臨書するならどこを見る?初心者を挫折させない3つの観察ポイント
「難しそうだけど、ちょっと書いてみたい」 そう思ったあなたへ。いきなり長文をバーッと書き写そうとすると、100%挫折します。
まずは一文字だけ、穴が空くほど観察してみてください。ポイントは以下の3つです。
1. 縦画の起筆(書き始め)の角度を盗む
李思訓碑の縦画は、グッと刃物を突き立てるような鋭い起筆が多く見られます。ここがボヤけると、一気に全体が弛緩してしまうので注意。
2. 横画の「急な右上がり」を恐れない
普通の感覚よりも、かなり強めに右へグッと持ち上げられています。最初は「やりすぎかな?」と思うくらいでちょうどいいです。
3. 転折(折れ)の「粘り」を意識する
カクッと曲がる角の部分(転折)で、筆圧を一度しっかり受け止めています。パキンと折るのではなく、グッと押し戻すような感覚。ここに李北海特有の「骨の太さ」が宿ります。
この3つを頭に入れて一字と格闘するだけで、いつもの自分の線とは違う、どこか野性味のある力強さが生まれてくるはずです。
まとめ:壁にぶつかったときこそ、李思訓碑を開こう
李思訓碑は、整然としたお手本通りに書くことに疲れた書道家にとって、最高のカンフル剤です。
「綺麗に書くことだけが、書の正解じゃない」
そう言われているような気がしてくるのです。 傾きと均衡、力強さと上品さ。一見すると矛盾するような要素を力ずくでねじ伏せ、ひとつの美に昇華させた李北海の執念。
もしあなたが今、自分の書く字に行き詰まりを感じているなら。あるいは、もっと表現の幅を広げたいと悩んでいるなら。 ぜひ一度、李思訓碑の拓本をめくってみてください。
そこにはきっと、あなたの書線を覚醒させる「危うい美しさ」が待っています。
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